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Interview
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Mr. Gene Jackson on DRUMS!

It don’t mean a thing if it ain’t got that swing

スイングを極める「生涯一ドラマー」 - ジーン・ジャクソン

Text・水野龍哉 Tatsuya Mizuno

Photo: one2three

 

 

Gene Jackson (purple)

 

 

もう20年以上も前の、酒場でのやりとりである。

 いきなり私事で恐縮ながら、当方は東京・六本木のある老舗ソウル・バーで、今をときめく世界的

ジャズ・サックス奏者、ブランフォード・マルサリス氏と酒を舐めていた。 飄々としてかなり

「いい奴」である彼は、杯を重ねるごとに様々な「ジャズ・ジャイアンツ」たちとの思い出を闊達に

喋り続けていた。中でも熱くなってしまったのは、ドラマーのアート・ブレイキー御大に関してである。

 「ヒュー! あんな経験は初めてだったぜ。俺が演奏で何をやらかそうが、彼は完璧なリズムの

サポートで守ってくれた。まるで、巨大なブランケットにくるまれているような心地よさだったな」

  言うまでもなく、ジャズはインプロビゼーションの連続である。メロディーラインを引っ張る演者が

勢いづいてドンドンと「走って」いっても、それを支えるリ ズム隊が変幻自在、臨機応変に対応する。

かくして緊張感のある一級の演奏が成立するのだが、彼はブレイキー翁の懐の深さをこう喝破したのだった。

 そして、今年6月某日、六本木のライブハウス「スイートベイジル」。舞台で繰り広げられる

ジーン・ジャクソン氏のドラムさばきを見て、当方はこのマルサリス氏の言葉を久々に思い出した。

この夜ジャクソン氏と組んだのは、気鋭のアーティスト、日野皓正を父にもつベーシストの日野“JINO”

賢二氏とピアノの丈青(じょうせい)氏の二名。血気盛んな彼らは、自由奔放なインプロビゼーション

を延々と繰り広げていく。そして、それを包み込むようにリズムで呼応するジャクソン氏。

彼の放つ音は、一つ一つが重い。強い。が、決して自分は前面に躍り出ない。ソロのパートになっても
彼らに「闘い」を挑むような、テクニックをひけらかすような演奏は決してしない。職人技の極意と
ゆとりを感じさせるそのドラミングは、謙虚で、且つ温かい。「自分のプレイスタイル? ただ言えるのは、
演奏で表現されるものは常に自分の人生の延長線であって、それを反映しているということでしょうな」

寡黙な職人がボソリと語る言葉ほど、「真理」に満ち溢れるものはない。演奏通りの控え目さが人柄に
滲むジャクソン氏の半生は、まさにジャズ・ミュージシャンの王道、少々大袈裟ながら「音の求道者」
のそれであったと言っていい。

彼は‘61年、米国のフィラデルフィアで生まれた。昼間働きに出ていた母親に代わって彼の面倒を見たのは

近くで託児所をやっていたジャズ狂の青年で、彼に連れられて見に行った「サン・ラ」のコンサートが

ジャクソン氏の原音楽体験となった。ご存知、’60年代から‘70年代に掛けてジャズ界に大きな一撃を

喰らわせたアヴァンギャルド「どファンク」ジャズバンド、サン・ラである。

 

Gene Jackson (grooving)


「彼らの演奏中、自分がずうっと飛び跳ねて踊っていたのをよく覚えていますよ」

以来彼は、託児所にあったドラムセットから離れようとしない子供になってしまう。この子にはドラムを

買い与えるしかない、と親が悟ったのは彼が10歳を過ぎた頃。高校を卒業すると当たり前のごとく、

ジャズマンの登竜門であるボストンのバークリー音楽院へと彼は邁進した。

「いつプロになろうと心に決めたのか……いま振り返っても余り定かではなくてね。気がついたら
ドラムを職業にしていて、『ウーム、わしはプロになっているわい……』という感じですよ(笑い)」

彼が10代を過ごした‘70年 代は、正統的なジャズが陽の目を浴びず、勢いを失っていた時代である。
代わりに世を席巻していたのはフュージョン。ウェザー・リポートやマハビシュヌ・ オーケストラと
いったアーティストを筆頭に、ドラマーではビリー・コブハム、トニー・ウィリアムスなどが様々な
音楽を融合させた新しいジャズの可能性を 探っていた。ジャクソン氏もそうした空気に大いに洗礼を
受けた。

そんな潮流が一変したのは‘80年 代前半。前述のマルサリス兄弟など、ストレートなジャズを演奏する
若手ミュージシャンが台頭し、「ヤングライオン・ムーブメント」と称されたうねりが米国 の音楽界に
起きる。プロモーターやクラブオーナーたちはこぞってこの正統派ジャズの復活をサポートし、
ビジネスとして確立させていった。

そんな時期、バークリーを卒業してニューヨークへ移った彼はギタリストのケヴィン・ユーバンクスと
活動を始める。
「独立したタイミングがとてもよかった。著名でないジャズ・ミュージシャンでも、経済的に
自立できるようになった時期でしたから。それ以前は、ツアーの経費は自前ということも
珍しくなかったのです」

かくして、彼の20数 年に亘るプロフェッショナルとしてのキャリアが始まった。これまで彼が

セッションを重ねてきたビッグネームに関しては、恐らくまだ一緒に演奏をしていない アーティストを

挙げる方が早いであろう。中でも代表的な活動は、ハービー・ハンコックとの共演。ウェイン・ショーター

がサックスを担った彼のカルテットに は、‘90年代から10年間参加した。

「彼 らのようなビッグネームと仕事をしていつも驚かされるのは、皆がごく自然に若々しいスピリッツと
みずみずしい感性をもっているということ。と同時に、伝統 としてのジャズの神髄を次世代に
継承していくことも常に意識している。だから私も若いミュージシャンたちと演奏する時は、
こうしたことを心掛けます」

「今の若手ミュージシャンたちは、インターネットが身近にあるから知識がとても豊か。私もよい
刺激を受けることが多い。ただその反面、物事を掘り下げないで表層に捉われる傾向がある。
演奏に肝心のソウルやスピリッツが抜けてしまい、テクニックに走りがちになるのです。やはり、
『スイングしなければ意味がない

(It don’t mean a thing if it ain’t got that swing=ジャズのスタンダード曲)』ですよ」

 

今はニューヨークと東京に拠点を置き、世界各地をツアーで回る日々。日本各所も巡り、この国の

ジャズ事情にも精通してきた。ジャズの発祥地である米国とは異なり、欧州と同じくジャズをアート

として捉え、尊崇してきた日本。この両者の違いは何であろう。「欧州の方が、ジャズを

クリエイティブな音楽として認識しているのではないでしょうか。日本には、‘50年代から数多くの

ジャズ・ジャイアンツたちが演奏に訪れた。だからジャズを当時のイメージのまま捉えようとする

傾向がありますね。特に当時を知るジャズ喫茶のオーナーの人々などはね。日本の社会では年長者の

考え方は影響力が強いですし」「旅を重ねることで気づくことがいろいろあります。よく米国人は

いろいろな面で自分たちが世界のナンバーワンだと思いがちですが、実際に他国を経験すると、

米国の方が随分と遅れていることが多々ある(笑い)」

ミュージシャンとして、彼の目指すところは唯一つ。「常に自分が成長を続けていくこと。
探求することに終わりはありませんから」。
全身全霊で音楽を考え続けるジャクソン氏。「生涯一ドラマー」の凄みを、
たっぷりと感じさせるのである。


Gene Jackson (after set)

 

 

http://www.genejacksonmusic.com

 



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